RIの歴史
戦前のあゆみ
国際リハビリテーション協会(Rehabilitation International,以下,RIという)は,1922(大正
11)年,米国で国際肢体不自由児協会として設立されて以来,70余年の歴史を持つ障害者問題に取り
組む国際団体である。名称は,障害者の概念の変遷と共に変わり,現在の名称が採用されたのは,
1972年からである。あらゆる障害を対象とした全国団体であることが加盟条件の一つであり,各国
の実情に応じて民間団体あるいは公的機関または政府機関が加盟している。
RIの目的は,障害の予防とリハビリテーションの推進,国際的及び各国の関連団体の育成の援助,
各国におけるリハビリテーション・サービスの確保,障害者の権利を守る法律の制定の推進,研究
調査の実施,国際的情報交換などである。また国際連合等の国際機関における障害者及びリハビリ
テーション関係者の代表としての役役割も果たしている。
肢体不自由児を援助することをその使命として出発したこの組織は,長い経験を通じ,その活躍
の場を広げてきた。1929(昭和4)年に「第1回肢体不自由者問題世界会議」がスイスのジュネーブで開
催され,そこでは,四つのトピック「発見・治療・教育・予防」が提出された。この会議の報告書
は次のように述べている。
「この四つの問題は互いに密接に関連している。発見の時期と予防は深い関係があり,教育と治療
は切り離せず,予防には早期発見が欠かせず,リング状のつながりが出来上がる。肢体不自由者の
問題は,社会における彼らの地位と,社会の彼らに対する態度と深いつながりを持つことも明らか
になった。個々の分野に携わる専門家は,問題全体のつながりを知り,また一般社会政策概念との
関係を認識し,大いに啓発されたのである。これが国際的展望である。」
国際肢体不自由児協会が設立された当時は,障害の意味はまだ認識されず,わずかな国が,障害
関係の活動を行っているに過ぎなかった。この新しい組織体の目的は,世界中に協会を組織し,そ
の活動推進を援助し,情報提供の役割を行うことであり,国際肢体不自由児協会は隔月誌「肢体不
自由児」を刊行した。
協会の設立者及び初代会長は,米国オハイオル|のロータリークラブ会員のエドガー・アレン(Edger
F、Allen)で,国際ロータリークラブは当初から密接に協会の仕事を援助してきた。AIlenの業績は,
国際ロータリークラブの創始者であり,1942(昭和17)年まで国際協会の代表となったボール・キング
(PaulHKing)によ))引き継がれた。
この間に,世界組織としての交友と団結が育まれ,協会は,ジュネーブ,ハーグ,ブタペストそ
してロンドンで,世界会議を開催した。会議の参加者は,1929(昭和4)年の12か国,50人から,1939(昭
和14)年の45か国,412人へと増大した。もはやその対象は子供だけに限らず,組織名は国際肢体不自
由者福祉協会(TheInternationalSocietyfortheWelfareofCripples)へと改められた。
第2次世界大戦中,組織の活動は縮小を余儀なくされたが,1942(昭和17)年から1948(昭和23)年まで
会長を務めたメキシコの ジュアン・ファリル博士(Dr.JuanFarill)や,1942年から1948(昭和23)年
まで事務総長であったオハイオル|,クリーブランド・リハビリテーションセンター所長のベル・グ
リーブ(Miss Bell Greve)などの人々の力により継続された。
戦後のあゆみ
戦後,1948(昭和23)年に会長となった米国のへンリー・ケスラー(Henrry H. Kessler)らは,障害
に対する認識の高まりの中で,世界レベルで問題解決の道を切り開く,国際組織の必要性を見い出し,
常勤の事務総長ドナルド・ウィルソン(Donald V., Wilson)を迎え,ニューヨークに小さな事務局を設置
した。また,1949(昭和24)年には「インターナショナル・リハビリテーション・レビュー
(International Rihabilitetion Review)」を創刊した。
そのころから,組織の規模・事業内容も充実し,名も知れ渡ってきた。加盟団体数は,1964(昭和
39)年までに,35から63へと増加し,一連の世界的指導者たちがこの会の会長を務めてきている。世
界保健機関(WHO),国際労働機関(ILO),国連教育科学文化機関(UNESCO),国連児童基金
(UNICEF)等々に協力し,国際連合の諮問機関としての役割も果たすようになった。1960(昭和35)年
に協会は障害問題のあらゆる側面に関連して活動してきたという認識のもとに,その名称を国際障
害者リハビリテーション協会(The lnternational Society for Rehabilitation of the Disabled,わが
国では,昭和45年まで国際肢体不自由者リハビリテーション協会と訳していた)へと改めた。
世界協力を常に育みながら,協会は,1953(昭和28)年に,盲人福祉協議会など,他の国際的民間組
織と提携し,世界障害者関係団体協議会(The Council of World Organizations lnterested in
Handicapped,以下,CWOIH)を結成した。CWOIHには,49の組織が加盟し,国連活動における
障害者の当事者組織を代表してきた。
RIはまた,ヨーロッパ協議会及び米I|機構(OAS)との公式な関係を持ち,また,アフリカ統一機
構(OAU)やEC委員会,相互経済協力委員会とも協力関係にある。
1967(昭和42)年に,ノーマン・アクトン(Norman Acton)がドナルド・ウィルソン(Donald Wilson)
の後を継いで事務総長に就任した。1968(昭和43)年には,略称として"Rehabilitation International”
を使用することになり,1972(昭和47)年には正式名称として採用され,変革と発展への新たな時代が
スタートした。
1968(昭和43)年に,RIは障害問題についての世界的な調査を行い,少なくとも4億5千万人の人が
障害を持ち,そのうちの3億人の人が,必要とする援助を受けることができないでいることが明ら
かにされた。より強い世界の反応を求め,RI理事会は1970年代を「リハビリテーションの10年」と
宣言した。その目的は,障害者問題の大きさ及び重要性についての一般の認識を高め,問題に対処
するため,より一層の努力を始めることであった。
1969(昭和44)年,アイルランドのダブリンで開かれた第11回世界会議の際に,評議員会で「国際シ
ンボルマーク」が採択された。このマークは従来の「障害者が社会に順応していかなければならな
い」という概念から,「社会を構成するすべての人々を受け入れる姿勢を持つように変わっていかを
ければならない」という運動の始まりを意味している。「リハビリテーションの10年」の活動など,
RIの交流と影響の範囲を広げ,RIの機能が民間組織にとってのみでなく,政府,社会保険・社会保
障関係機関や,他の障害に対する運動を行う組織にとっても大きな意味を持つことが明らかとなっ
た。この傾向を反映し,1973(昭和48)年にRIは,加盟団体をこの分野に貢献するあらゆる範嬬の政府…
民間,私的組織を含むものへと修正した。
この10年間に高まった関心は,さらに発展をめざすための運動の動員と促進のため,国際的指針
を必要とすることとなった。それに対するRIの答えが,80年代憲章(Charter for the'80s)である。
今までにない広範な国際的協議を行い,2年かけて起草された「80年代憲章」は,問題の理解と行動
への理念のため方針と優先権についての合意の声明であり,国連総会で決議された「障害者に関す
る世界行動計画」の基礎ともなった。
1969(昭和44)年の「リハビリテーションの10年」の宣言と,1973(昭和48)年のRI加盟組織の拡大は,
歴史の新しい局面を切り開いた。この期間の主要な業績には「80年代憲章」のための国際的協議,
また障害の原因,発展途上国の障害児の状態,障害の経済,そして関連情報についての世界的分析,
国際シンボルマークの創始と普及等々がある。


